黒澤止幾年譜 黒澤止幾(とき) 日本初の女性教師

年譜


西暦 年齢 事項 関連事項
1806 1 12/21 高野村に生まれる  
1807 2 父母離婚 西北海道を幕府直轄地とし、松前奉行を新設
1808 3   間宮林蔵が樺太を探検
1810 5   イギリス船が大津浜に来航
1812 7 祖父吉荘より、今川・実語教・大学等を学ぶ 長久保赤水が日本地図を再刻
1817 12   イギリス船が浦賀に来航
1821 16 9/25祖父吉荘死亡(62歳) 全国に風水害
1824 19 久慈郡小島村の鴨志田彦蔵将時と結婚  
1825 20   外国船打払い令が下る
1827 22 2/10長女久子生まれる 倹約令下る
1829 24   江戸大火
徳川斉昭 水戸藩主となる
1830 25 10/10次女照子生まれる 斉昭が藩政改革を始める
1831 26 夫将時死亡  
1832 27 2人の子を連れて実家(高野村)に戻り、行商・裁縫・手習いの教授に従事 天保の飢饉始まる
1833 28 行商の余暇に、文学に志し、俳句や狂歌を習う 高野村から錫高野村となる
1837 32   大塩平八郎の乱
1839 34 義父助信法印が、宝寿院の事務を執行  
1844 39   徳川斉昭が隠居謹慎を命じられる
1845 40 漢詩を作る イギリス船が琉球に来航し貿易を強要する
1851 46 草津で初めて門人をとり、教授する。  
1852 47 2/17より隣村塩子村で子弟を教育する。 外国船対馬、下田に来航
1853 48    米国使節ペリーが浦賀に来航
徳川家定将軍となる
1854 49 10/23義父助信法印が病気の為、実家へ帰る
義父の後を継いで私塾を開く
ペリー再来し、日米和親条約を締結
日英、日露和親条約
下田・函館・長崎開港
1858 53   井伊直弼大老となる
日米修好通商条約の調印する
徳川斉昭謹慎を命ぜられる
1859 54 2/22 京都へ上京
3/25 京都へ入り、奏上の長歌を座田右兵衛大尉に託す
4/1  幕府役人に捕われる
10/27 中追放を命ぜられる
11/1 茂木の知人宅に身を寄せる
安政の大獄
1860 55 地方子弟の教育に従事 桜田門外の変で井伊直弼暗殺
徳川斉昭死亡
1861 56 私塾を続ける 東禅寺事件、公武合体実現
1866 61   薩長連合成る
将軍家茂死す
徳川慶喜将軍となる
孝明天皇崩ず
1867 62 孫の菅子の婿に堀村の川崎近義を迎える 大政奉還
明治天皇即位
王政復古の大号令
1868 63   5ケ条の御誓文
江戸を東京と改称
1869 64 12/12 6人の強盗侵入。家財金殻を奪われる 版籍奉還成る
1870 65   平民へ苗字を許す
庶民の帯刀を禁止する
1871 66 11/17 母総子死亡(85歳) 廃藩置県
1872 67   学制発布
1873 68 5/1 自宅を小学校に代用し初めて教師を任される(全国最初の女教師) 徴兵令公布
地租改正
1874 69 小学校教師を辞し、以後、求めに応じ、書道・歌道・漢字などを教える  
1875 70 2/3 朝廷より終身扶助料十石を賜れる
12/15 次女照子死亡
千島・樺太交換条約 
1877 72 春の長歌を作る
西南の役
1878 73 7/20 芳野金陵氏より阿登幾伝を贈られる  
1887 82 4/19 御嶽教権小正となる
10/25 曾孫琨子に婿養子、関口峰三郎を迎える
 
1888 83   市制、町村制公布
「君が代」国家の制定
1889 84 1/4 御嶽教小教正となる 帝国憲法発布
東海道本線開通
1890 85 5/8 止幾没す(85歳) 第1回帝国議会
1907 没後
18年
11/15 従五位贈位
11/28 大教正
 

posted by TOKI at 17:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | 黒澤止幾年譜
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