寺子屋の師匠 黒澤止幾(とき) 日本初の女性教師

寺子屋の師匠となる

安政元年8月5日、故郷へ戻って、祖父伝来の寺子屋を継いで、私塾の経営にあたることになった。
止幾が初めて門人をとって教えたのは、嘉永4年(1851年)の夏、行商生活の合間に草津の菊屋旅館に滞在した際、娘の主馬女の手習いの師匠として読み書きを教えたことに始まる。この草津には半年ほど滞在している。
更に嘉永5年2月には、錫高野村の近隣えある塩子村(現在の城里町塩子)にて、土地の有志から懇願されて子弟の教育に従事することになる。ここでは、教場として、富田・富岡・阿久津・館氏などの邸宅があてられた。この塩子村には、安政元年(1854年)5月まで滞在し、再び草津へ湯治に向かい、この間また菊屋権太郎の世話で、湯本平兵衛なる人物の娘須久女と次男次郎に読み書きを教えた。ここには、8月の始めまで3ケ月間滞在し、その後は錫高野に戻り、寺子屋を継承する。

こうして止幾は行商生活に終止符を打ち、錫高野の実家で寺子屋の師匠としての人生を踏み出すのである。当時、先師(義父助信)より継承した門人は16名であった。
それから安政6年2月末に上京するまでには、81人に達していた。
京都より帰郷後、萬延元年11月より、寺子屋を再興して、明治5年4月に至る12年間に約200人余り、それから更に、明治の学制改革以後にもまた、教え子を請うものが少なくなかった。

多年、心に掛かっていても、思うに任せぬ老母への孝養も、今は日夜、老母の膝元に住んで、心の限りを尽くして奉仕することが出来ると同時に、祖先伝来の事業を継承して私塾を経営することが出来る時節に遭遇したのである。貧しいけれども清く、寂しいけれども正しい教育者としての一路を歩んでいたのである。
posted by TOKI at 20:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | 寺子屋の師匠
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