献上長歌・反歌の現代約 黒澤止幾(とき) 日本初の女性教師

献上長歌・反歌の現代約

神代の昔、神々が鎮正なさった、まことにけだかいこの日本の国は、昔も今も更に千年の後の世までも、変えることのない君が御代であるはずなのに、こんな有様では、まことにわけのわからないご時世だ。
白波が寄せ来るように外国のいやらしい舟がやって来て、彼等が強いる無理な要求を早速引き受けたあのあやまちは、井伊直弼と言う士が日本の俸禄を喰んでいるくせに立派なことだとはとても思われない。
何の分別も無い間部詮勝に命令して、手柄こそあれ何の罪科もない我が主君を幽閉し、多くのお金で買収して恐れ多くも皇室の方々を言葉巧みに引きつけたことはあさましいことだ。知恵の浅い井伊掃部の頭のこんなからくりは、しぜんと世間の人々の言葉に上がり、こんな悪事を云え聞いてみれば、私は下賎の身であっても、神代の神のご子孫である勲功の高かった藤原氏の末流の私であるから、これを聞き捨てるわけにはいかない。
私は年をとって54歳にもなったので、73になる老母のそばで最後のお仕えをするつもりで、私塾を開きながら暮らしてきましたが、この事情を詳しくお話して少しの間のお暇をお願いしましたところ、母親も私に向かって同感なさって、お国のためによい機会だからと老母は率直に私に力をつけて下さいました。そこで露深い早朝の日の出とともに常陸の国を発って、日本の道理が立派に行われる御代にしたい一心で、杖をたよりの旅に出たのもひとえに主君を思う一念からです。
老のわが身ですが止むにやまれぬ心は遠くまで蜘蛛の糸がぴんと張っているように、宮中まで続いている架け橋を渡る私の心です。それは、田舎者の下賎な私ですが、山の井の清水のように清らかな流れの中にすむ魚の心と同じです。いやしい自分をもかえりみず、お国のためにの一心で、どうしたものかと案じましたが、もはやこの上はと先づ賀茂神社へお参りしました。まだ明け方ですが、鶯の初音を聞いたお目出たい今日でした。そしてこの私の心の中を宮中まで申し上げるため、恐れ多いことですが、お宮の前にひざまづいて、謹んで私の言葉を申し上げ奉る次第です。

反歌(はんかとは、短歌の形をとるのが普通で、前文で言い足りなかった点を付け加えたもの)

・いつ迄も照らして変わりのないこの一尺ほどの鏡に、今こそはっきりと私の真心を写しましょう。

・はるばる旅を続けてきました、さあ蜘蛛の糸のぴんと張る宮中まで張り渡りましょう。

・きよらかに澄み渡っている今朝の月は、これこそ我が日本の清い心と同じでしょう。

・ふるさとを遠く旅して来ました。さあ日本の道理の行われている御代をはるばるたずねてみましょう。
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